5時からサラリーマン(男)の生態

ジャンルはテキトウ、内容もテキトウ。思いついたまま書いています。

金持ちになる男、貧乏になる男

妻曰く、私は、貧乏な男。

 

私にとって、妻は、貧乏にさせた女。

 

共働きなのと、妻の実家に住んでいる(住まわされている?!)ので、

別会計でと交渉するも、

小遣い制という名の配給制で、過ごしている。

 

私の趣味は読書、それと、たまに、1月に1回ほど、自己啓発セミナーに行く。

お酒は、付き合い程度。飲み会にはほとんど行かない。

行っても多いときで月に2、3回程度。

 

それでいて、金が無い。

 

毎月、小遣いの収支は赤字。

赤字の補填は、クレジットカードでリボ払い。

どんどん、赤字、借金が膨らんでいく。。。

 

妻に、相談をするにしても、小遣いの額を上げてはもらえない。

俺、クレジットカードで。。。と話しても、

「自分が悪いんでしょ」と言われる始末。

 

そんな、貧乏な私が、図書館で手に取った本。

"金持ちになる男、貧乏になる男"

 

 

表紙には、

貧乏になる男は、

「汗水たらして働けばお金は稼げる」と考える。

そして、中年になったとき、

それまでの約20年間の労働に見合うお金がほとんど残っていないことに愕然とする。

 

と書かれている。

 

そろそろ、中年の域に達する私は、

今、労働に見合うお金がほとんど残っていない。

 

金持ちになりたい、そう思って、この本を読んだ。

 

この本に書かれていた項目を抜粋すると、

・金持ちになる男は、悪い人間じゃ無い。

・金持ちはになる男は、頭を使って稼いでいる。

・金持ちになる男は、積極的に自ら行動する。

 (宝くじを買って期待するような事はしない)

・金持ちになるお男、は自分で物事を解決しようと考える。

 (誰かに助けてもらおうと考える貧乏とは違う)

・金持ちになる男は、金融市場が「感情と強欲」で動いていると考える。

 (「論理と戦略」で動いていると考える貧乏とは違う)

・金持ちになる男は、金持ちを「解放者」と考える。

 (貧乏になる男は、金持ちを「圧制者」と考える)

・金持ちになる男は、「つきあう相手を慎重に選ぶ」

 (貧乏になる男は、「誰とでも気安くつきあう」)

・金持ちになる男は、人一倍の「努力」をする。

 (貧乏になる男は、できるだけ「怠けようとする」)

・金持ちになる男は、「努力を楽しもう」と考える。

 (貧乏になる男は、「努力せずに楽しよう」と考える)

・金持ちになる男は、「大成功を狙って」フルスイングする。

 (貧乏になる男は、「負けないように」安全策をとる)

・金持ちになる男は、「仕事が大好きだから」働く。

 (貧乏になる男は、「お金のために」働く)

・金持ちになる男は、「野心は美徳だ」と考える。

 (貧乏になる男は、「野心は罪悪だ」と考える)

・金持ちになる男は、お金に対する「プラスの信念」を子どもに伝える

 (貧乏になる男は、お金に対する「マイナスの信念」を子どもに伝える)

・金持ちになる男は、「金持ちの遊び」を子どもに教える。ゴルフ、乗馬等々。。。

 (貧乏になる男は、「大衆の遊び」を子どもに教える)

・金持ちになる男は、「自己啓発にたえず投資」する

 (貧乏になる男は、「自己啓発はあまり価値がない」と興味を示さない)

・金持ちになる男は、読書を「成功のための準備」と考える。

 (貧乏になる男は、読書を「娯楽のための活動」と考える)

・金持ちになる男は、「金持ちはよく遊んでいる」と考える。

 (貧乏になる男は「金持ちは仕事中毒だ」と考える)

・金持ちになる男は、「プラスの信念」に切替えて勝利する。

 (貧乏になる男は「マイナスの信念」にとらわれて敗退する)

 

とるべき戦略は、金持ちの考え方に学び、まねをし、行動を起こす。ただ、それだけのことだ。

 

とある。

 

私は、自己啓発にも自腹で取り組んでおり、読書も仕事の準備ととらえている。

が、しかし、貧乏だ。

 

私が貧乏な理由。

二度転職をして年収が下がった事もあるが、

一番の理由は、結婚をして、妻とその親に搾取されている事。

仮に、私の年収が上がったとしても搾取され続けるであろう。

金持ちの遊び、ゴルフは妻から禁止され、学生の頃少しやっていた乗馬をやる小遣いも無い。

 

 

ああ、金持ちになりたい。

年収を上げれば、小遣い少しは上げてもらえるかな。

まず、自己啓発は、継続してみます。

トホホ。。。

 

教訓:

金持ちになる男は、「つきあう相手を慎重に選ぶ」

 (貧乏になる男は、「誰とでも気安くつきあう」)

結婚の相手選びは、重要です。
 
妻の良いところはもちろんあるが、私の小遣いに厳しすぎるのは改めて欲しい。