5時からサラリーマン(男)の生態

ジャンルはテキトウ、内容もテキトウ。思いついたまま書いています。

私とは何か 「個人」から「分人」へ を読んでの感想

もっと若いときに出会っていれば、そう思う本。

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

実は、私は、その昔、いじめられっ子でした。
小学校の時、よくいじめられていました。

嫌だったのは、登校班。
学年問わず、近所の子どもで集まって一緒に学校行くのですが、これが非常に苦痛だった。
私の父が、頑固オヤジで、
「道路ではボール遊びをするな!」

「人の家の壁にボールを当てるな!」

「うるさ~い!!!」

と、近所の子どもに対して、注意をしていた事もあって、
そのとばっちりが私に来る。


蹴る殴るは当たり前で、
ランドセルをひっくり返され、教科書を投げられたり、もうやりたい放題。


親に相談しても、
又、近所の子どもに対して、コラーッと怒るだけで、解決にならない。
(実際に、父に相談したら、相手に怒っただけで、その仕返しにあった(涙))


そんな私でも、学校に着いたら、クラスではいじめられっ子ではなく、
それなりに、元気な子でしたが、
学校の先生に相談すると、
ヘロヘロ君は、いじめられっ子とのレッテルを貼られ、
腫れ物に触るような対応をされるようになった。


当時の私としては、俺、いじめられっ子なんだな、
そう思う様になっていた。


母親からは、
「登校班があるのは、小学校まで。
 中学校からは、登校班が無いから」

と言われ、早く中学校に行きたいな、そう思っていた。


小学校低学年の私にとって、中学校は、あこがれで、あったが、あと何年耐えなければならないのか。。。
と考えると憂鬱であった。


この本では、

”学校でいじめられている人は、本質的にいじめられる人間だなどと考える必要は無い。それは、あくまでいじめる人間との関係の問題だ。放課後サッカーチームで練習したり、自宅で両親と過ごしたりしている時には、快活で楽しい自分になれると感じるなら、その分人こそを足場として生きる道を考えるべきである。”

 

と書かれている。

 

当時、このことを知っていたら、もっと勇気づけられていたと思う。


実際、中学校以降は、私はいじめられること無く、過ごしています。

いじめられかけても、大声を出す、キレ返す、その場から距離を置く、等々でその場を乗り切っています。

 

今、コワイのは、妻とその親。

妻の実家に住んでいる為、妻を否定すると、その親も絡んで面倒。。。
家族会議は、まるで軍事法廷

そんな訳で、家庭での私は、分人です。

 

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)